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佐々町市街から佐々川を越え、吉井方面へ車で向かうこと約5分。ホームセンターやディスカウントストアが建ち並ぶ松瀬免交差点の左手すぐ側に鳥居があります。社務所の背後にはこんもりとした山が控え、境内には七五三参りののぼりがはためいています。ここが今回訪ねる熊野神社。旧市瀬村の中心的な神社です。
現在、宮司を務めておられるのは17代目の友田千利さん。長身で物腰柔らかな宮司さんです。主神は伊弉冉命、他に境内には宮地嶽(みやじだけ)、牛馬息災神(ぎゅうばそくさいしん)、淡島(あわしま)が祀られています。 |
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文献が残っていないため、いつ頃の創建なのかはわかりません。しかし貞和2年(1346)に初めて再建されてから現在に至るまで実に五回も再建され、地域によく敬われていることがわかります。秋の例大祭では国指定重要無形文化財の平戸神楽が奉納され(一部)、友田宮司も笛を吹いたり舞うのだとか。境内には縄文時代の『佐々町狸山支石墓群』(県指定史跡)もあり、歴史を感じさせます。 |
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熊野神社と聞けばやはり真っ先に和歌山の神社を思い浮かべたので聞いてみました。
「15世紀の初めの頃、疫病の流行や不作といったことがあったのでしょう。元氏子が和歌山の熊野本宮へ修行に行き、御霊分けしてもらい、宝徳元年(1449)の再建時に熊野神社となったようです。実は熊野という神社は全国に約三千ほどもあるんですよ」 |
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神道の葬儀は死の汚れを清め、死者を神として祀るための儀式なので『神葬祭』(しんそうさい)と言いますが、この地域で神葬祭はそれほど多くないとのこと。
「多くの氏子さんは神社を大切にしつつ、お寺も大切にする方々です。ですのでお葬式は仏式で行われることがほとんどなんですよ。『お葬式はお寺で、お祝い事は神社で』という考えが一般的になってしまっているからでしょう。神仏を場面ごとに使い分けるのは日本ならではの宗教観ですね。ですから氏子さんの葬儀では私は必ず出席する側なんですよ」と苦笑いしながら話されました。 |
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「核家族化や社会の変化と共にお参りする人が減っています。七五三なども写真を撮るだけ、地鎮祭は行っても新宅祓いなどはすっかり行われなくなりましたね。
農耕文化と密接な関係にある神社は、常に地域とともに歩んできました。そんな神様を敬ってきた先祖の気持ちをもっと大切にして欲しいものです。それが人を敬う気持ちにもつながります。昨今、親子で憎しみあったり、子どもたちが事件を起こしたりしています。これも人を敬う気持ちが欠落しているからだと考えられます。
当神社でも年間のお祭りのなかでさまざまな講話を行ったり、夏休みには子どもを対象にした『子弟の集い』といった活動を行っています。(※現在は休止中)しかし普段から各家庭で氏神様を敬い、神社にお参りするよう気がけていただきたいですね」 |
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友田宮司の熱い語りに、気がつけばもう薄暗い境内。その熱っぽさゆえに熊野神社はこれからも市瀬の村社として地域祭事の中心的な役割を果たしていくのでしょう。 |
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この記事は平成18年10月8日発行のメモリアルだより(佐々版)第11号に掲載されたものです。 |