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薄曇りの江迎方面から国道204号を一路北へ。潮の香りをかぎながら、平戸口を通り過ぎ、田平港前の交差点を左折するとすぐ右手に立派な山門を構えたお寺が現れます。ここが今回訪ねる是心寺。平戸湾を望むようにして建つ、臨済宗妙心寺派の古刹です。
現在、是心寺の住職を務めておられるのは、第14世、辻 良哲(りょうてつ)和尚です。 |
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是心寺の開山は古く、南北朝時代まで遡ることができます。時は今から約670年前、後醍醐天皇の建武中興に関係した松浦氏16勝(すぐる)公が平戸館山付近に開山した「是興寺」がおこりです。しかしこの後、是興寺は時代とともに荒廃します。荒廃した是興寺は、21世義(よろし)公によって田平に移され再興されます。しかし再び荒廃。その後、寛文3年(1663)貿易商である尾崎九郎左衛門と船越内右衛門が、藩主の許しを得て法雲大仰禅師を招き再興します。ところが、またもや寺運はふるわず、とうとう明治維新の頃には廃寺となってしまいます。その後も三度再興され、昭和5年には本堂を再建するまでに至りました。しかし昭和32年、今度は無住寺(住職不在の寺)となってしまうのです。
「その後、なんとか寺を再興したいという檀家の願いから、昭和35年(1960)に福岡県の常楽寺から宗哲和尚を迎えることができたのです。是心寺の今は、当時の檀家さんたちの強い願いと、それに応えて再興に励んだ先代の力あってのことなのです。」良哲和尚は隆盛を繰り返したお寺の数奇な運命をやさしく語られました。 |
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次にお寺にある寺宝などを案内していただきました。本堂にはご本尊が安置されているほか、宮崎分堂(江戸南画の大家、谷文晁の弟子)による十六羅漢の壁画が描かれています。また、本堂裏手にはなぜか上に上にと伸びた不思議な県指定天然記念物のソテツがあります。 |
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「檀家さんの強い願いから再興されただけあって、活動も盛んです。
「さまざまな活動のなかでも、ご詠歌部は毎年のように全国大会に出場するほどの実力があるんですよ。また、6年ほど前から青壮年部が企画して、大晦日に年越しそばの振る舞いと餅つき大会を行っています。とても好評で、ずいぶん参詣客も増えたようですね。私はこうした活動から思いました。日本人にもまだ宗教心があるんです。大晦日、茶髪で近寄りがたいような子供たちがちゃんと拝んでいるのです。ですから『もっとお寺に来なさい』とばかり言うのではダメだと思うのです。もっと住職自らが地域の行事に参加し、地域と交流を深めていくことが大切で、そうした努力を積み重ねた結果、さまざまな方がお寺に出入りするようになり、それがひいては宗教教育につながっていくのだと思います。」
住職は自らの決意を確かめるように、力強く語られました。 |
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「是心寺は『句碑の寺』としても知られるお寺です。境内に十数羽のトンボが舞う夏の午後、山門のすぐそばには稲畑汀子さん(高浜虚子の孫)の句碑が輝いていました。
長い歴史の中で、その運命が二転三転した是心寺ですが、今は檀家さんたちと安寧の時を送っています。 |
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この記事は平成18年1月15日発行のメモリアルだより(佐々版)第4号に掲載されたものです。 |