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薄曇りの天気が続き、日々強くなる木枯らしにいよいよ本格的な冬の到来を感じる12月の初旬。見返橋から小佐々方面へ車を走らせること約5分、小佐々郵便局の手前の小佐々川沿いに曲がると、こんもりとした木々が目の前に現れます。その木々の向こう、自然に抱かれてひっそりと佇んでいるお寺。ここが今回訪ねる本立寺。江戸末期に始まる比較的新しいお寺です。現在、住職を務めておられるのは第六世 高野光祥(こうしょう)住職。穏やかな語り口にやさしさが感じられます。 |
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創建は慶応2年(1866)、北松炭田の開祖といわれる松浦藩士、久田繁左エ門昌義と尼崎久市の両氏によって道場と大宝塔が建立されます。久田氏は平戸松浦公三代に仕え、石炭奉行として厚い信頼を得ていた人物。そういった経緯もあり、明治19年(1886)の本堂建立時には、平戸のお殿様より資材の寄進を受けているのです。その後、明治23年に新潟で廃寺となっていた本立坊という寺号を移転し、正式な日蓮宗寺となりました。その際、山号は久田氏の姓名から一文字ずつとって「久繁山」と定められています。 |
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昭和48年、お寺の境内周辺で発見され小佐々町の文化財にも指定されている「箱式石棺墓」。弥生時代(約2500年前)のもので、境内およびその周辺は弥生人の墓地のようだったことが推察されます。また寺に残される史料には、この場所には多くの霊魂が祀られていることを知っていたことを示す記述が見られます。つまり、この場所そのものが古代の昔より霊を弔う地として信仰の対象だったのかもしれません。
石棺は長い年月のうちに風雨などによってその多くが消滅しており、現在は山門近くに2基、教育委員会によって移転・復元されたものが残されるだけになっています。 |
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「歴史的にお寺は地域の集会所であり、住職というのは住民の良き相談相手でした。しかし時代の移り変わりとともに、人々の足がお寺から遠のいてしまいました。その結果、大人たちは生きる方向を見失い、子どもたちは大人を手本にできなくて困っています。そのため私は、様々な悩みを抱える方々の相談をお寺でお受けしているんです。佛の教えとは、現世に生きる私たちの苦しみを和らげるためにあるもの。いろいろな悩みがきっかけでもいいんです。まずお寺へ足を運び、信仰を通して自らの生き方を見つめ直していただけたらと思います。そこがスタートとなって悩みを解消する道がきっと開けてきますよ」
そう仰るご住職には3人の息子さんがいます。その息子さんが戻ってきたら一緒に『心のケアのできるお寺』を目指していきたいと語られました。それもそのはず、ご長男は大学院で現在、心理学を専攻中とのこと。きっと住職と檀家さんを強力にサポートしてくれるに違いありません。 |
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「囲碁が趣味なんですよ」というお話に、檀家さんが相手なのですかと尋ねたら、なんとインターネットを利用した対局を楽しんでいるのだそう。そんな柔軟な時代への対応力があるからこそ、さまざまな相談に来る檀家さんをやさしく佛の道へと導くことができるのでしょう。 |
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この記事は平成18年1月15日発行のメモリアルだより(佐々版)第4号に掲載されたものです。 |