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松浦市の中心地から国道二〇四号線を伊万里方面へ少し走った左側に鳥居が見えます。鳥居をくぐると綺麗に掃除がされた境内に見える手水舎、そしてその奥に社殿。ここが今回訪ねる淀姫神社。松浦の中心的な神社です。
迎えてくださったのは宮司を務めておられる中川明宏さん。眼鏡の奥の目が優しい、物腰柔らかな宮司さんです。 |
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五六三年(欽明二十四年)の創建からわかるように、古くからこの地の守り神として敬われてきた歴史ある淀姫神社。神社の由緒は十二代景行天皇の時代、神功(じんぐう)皇后が新羅に出兵するにあたり、妹である淀姫命を松浦に遣わされたことに端を発します。
淀姫命は松浦より出陣され、海を味方につけ見事新羅軍に勝ちました。その後、松浦に戻られ病人の治療や干ばつの雨乞いをされたことから、今でも五穀豊穣、雨乞い、天文暦学の神として崇められています。 |
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ところで淀姫神社と聞けば有名なのが流鏑馬(やぶさめ)。秋の例大祭に奉納されるこの神事は現在、県内でも唯一残る貴重な行事となっており、毎年観覧の問い合わせも多数あるそうです。
「かつては県内、県北地域でも数多く流鏑馬が奉納されていました。しかし流鏑馬は馬に乗れる方、馬を世話する方、馬を走らせる広い場所、そして矢を作る方全てが揃わなければ行うことができません。幸いにも氏子さんや崇敬者(※)の方々が『流鏑馬を残していきたい』という強い気持ちを持っていらっしゃるお陰で今も続けられています」
また昨年は社殿から、祭祀の時にお供え物を乗せる際に用いられる高坏が発見され、奥深い歴史をもつことが改めて証明されました。 |
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宮司さんは歴史があることにあぐらをかかず職員さんと共に、神道を広めるための地道な努力も欠かしておられません。取り出されたのはパソコンで綺麗に編集された一枚の新聞。
「これは二十四節季に合わせて発行している『淀姫歳時記』です。昔と違って最近はみなさん、神社に足を運ばれる機会が少なくなってきているように感じます。そこでお宮のことをもっと知っていただき、地元の神様にお詣りいただければという思いから、お詣りに来られた方を中心に社頭で配布しています。自分でいうのもなんですが、『神社のことがよくわかった』『ためになった』と好評なんですよ」と少しはにかみながら話されました。
「地元の神様は地元の自然を常に守ってくださっています。毎日を安寧(あんねい)に過ごすためには、神様を大切に思い、感謝し、お詣りすることが大切なんです。しかし毎日神社へ出向くのは大変です。そのためには自宅に神棚を祭ってお祈りして欲しいですね」 |
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組織だった活動はしなくとも祈年祭などの行事には氏子さんが五十〜百組分ものお料理を作るなど、その結束は堅いとのこと。神社を中心として脈々と受け継がれる助け合いのこころは、勇敢ながらも慈しみ深い淀姫命の意志を受け継いでいるかのようです。
(※)氏神を祀る神社の周辺には住んでいないけれども、その神さまを信仰している人 |
主な催事
一月二十五日 古守りお焚きあげ神事
十月二十六日 例大祭(おくんち) |
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この記事は平成21年1月11日発行のメモリアルだより(松浦・田平版)に掲載されたものです。 |