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松浦市内から国道を伊万里方面に走り、松浦漁港入口の交差点を山手に上ると眼下に伊万里湾を一望できる眺めの良い集落に出ます。集落を進むと、目に入ってくるのは大きなイチョウの木。このイチョウの木を目印に進むと、その下に歴史の重みを感じさせる山門があり、そこをくぐると落ち着いた感じのお堂が現れます。ここが今回訪ねる護舜寺。曹洞宗の古刹です。
現在、住職を務めておられるのは、第二十四世守之(しゅし)和尚です。 |
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護舜寺は今から約三八〇年前にあたる一六一七年(元和三年)、護庵正守禅師によって開山されました。正守禅師は朝鮮出兵に同行し、敵・味方の区別なく戦死者の冥福を祈っていました。その後、朝鮮から帰国した禅師は、敵・味方双方の慰霊のため朝鮮の見える場所にお堂を建てたいと願っていたそうです。
そのことを知ったのが時の平戸藩主、鎮信公。禅師の志に感銘を受けた鎮信公は、朝鮮の見えるこの地にお堂を建て、白龍山護舜寺と名付けたのだそうです。 |
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「お寺と言うと皆さん、どうしても“葬儀”というイメージをまず思い浮かべるようですが、、仏前結婚式も執り行っています。幸せな家庭を築くためには、ご先祖さまを祀った菩提寺で、愛を誓うことが大切です。そうすれば仏様もご先祖さまも、二人を見守ってくれるんです。お寺で結婚なんて縁起が悪いなんてことはありませんよ。その逆です。かえって絆が深まるんです。」と話されました。
「それはつまり、ご先祖を大切にしなければならないということです。そのためには“行い”が大切です。感謝だけなら誰だってできます。でも毎日一本、必ずお線香を上げるとなると難しいでしょう。そこが大事なんです。曹洞宗を開いた道元高祖が『衆善奉行、諸悪莫作』(しゅぜんぶぎょう、しょあくまくさ)と言っています。これは『諸々の悪いことをせずに、諸々の良いことを行いなさい』という意味です。こんなこと子どもでもわかることですよね。でも実行することは大人でも難しいんです。」 |
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年間行事としては、老人会、婦人会による清掃作業(年二回)やご詠歌(毎週金曜)などを行っておられます。 「若い人を無理に誘っても無理なのはわかっていることです。むしろ若い人が、お寺はお年寄りの社交場なんだと思ってくれたらいいんです。こういったことは信仰同様“受け継がれるもの”なのですから。おじいさん、おばあさんの後ろ姿を見て、若い人が将来、自分も同じようにお寺に集うものだと思ってくれたらいいんです。」 |
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境内の真ん中に伸びた大きな大きなイチョウの木。秋には銀杏がたわわに実り、地域の人が拾いに来るそうです。また、少し前まではこの木の下で子供たちがベーゴマやメンコ遊びに興じていたとも。大きなイチョウの木とともに地域の暮らしに溶けこみ、とても親しまれていると感じられる護舜寺でした。 |
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この記事は平成16年7月18日発行のメモリアルだより第3号に掲載されたものです。 |